こまめに削除していますが、もし目にすることがあっても、トラックバック元はたどってみないようにお願いします。特に学生の方。
このブログを開設したのは2002年11月 (最初のエントリ)。当時、まだ倭国ではあまりなじみがなかったブログをめぐって騒動があり、それを目にしたのをきっかけに立ち上げたのでした。
すでに倭国語が使えるブログサービスもいくつかあったように覚えていますが、技術的な興味が先にあったので、自分で Movable Type をサーバにインストールするという方法をとりました。最初は別のサーバにインストールしたものの、サーバがCGIの負荷に耐えられず不具合が出たため、このサイトに移転したのでした。
それから数年はLinuxザウルスにハマったりして、現実逃避モードで書き込んできましたが、最近は仕事 (研究) に関する内容がだんだん増えてきました。周りの友人・知人や学会・研究会関係でもブログはごく当たり前に活用されるようになってきています。
そんなわけで、気分を一新して、仕事関係の内容を中心にしたブログを別に立てることにしました。最近正式版になったブログサービスの Blogger を利用しています。ぜひご笑覧ください。※いきなりメンテナンスに入っていますが……。
こちらも当面残しておきます。
「慰霊と追悼研究会」シンポジウム 「慰霊と顕彰の間-近現代倭国の戦死者観をめぐって-」 (國學院大學研究開発推進センター)
両方とも2007年2月10日(土)に開催。う〜ん、どちらに行こう?
また昨日は、短期留学生のために倭国語会話の支援などを行うアシスタントをやった学生の話を聞いた。
それから、岡山大学で行われている学生参画型の授業改善について講演を聞く機会もあった (リンク: 学生・教職員教育改善委員会)。
それらが連鎖的に頭の中をかけめぐって、この記事を書いているのだけれど、学生がこのような活動に参加する動機について、どのような説明がありうるかということで、ふとひらめいた。
学生は授業料を払って大学で学ぶ機会を得た。その時間を効率よく学習・研究やさまざまな活動に充て、今現在の高い満足を得る、というのが消費モデル。
学生は自分が成長するために大学に入ることを選んだ。授業料を払うのも学習・研究するのもこうした活動に積極的に身を投じるのも将来の成長した自分に向けての投資である、というのが投資モデル。
そんなことを妄想しながらググってみると、経済学の分野では、ボランティア行動の要因について、このような二つの異なるモデルに基づく実証的研究があることがわかった (Menchik, P. L. and Weisbrod, B. A., "Volunteer labor supply," Journal of Public Economics 32-2 (1987): 159-183)。この研究のことがどこかで刷り込まれていたのかもしれない。今度読んでみよう。
(付記) 成長のための自己投資、というのは、カッコイイけれど、それに関わる人々からすれば、少し寂しい気もする。もう少し考えを進めてみたい。
]]>愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 雑誌をカッターで切り抜いて「どうしていけないんですか」という女性は本当に存在するのか
愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 世田谷区立中央図書館の越後信子係長に「切り取られた本」について聞いてみました
読売新聞の、図書館の本、傷だらけ…「切り抜き」「線引き」横行 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) について、検証を試みた人の記事。
読売の記事には、
越後さんには忘れられない“事件”がある。3年ほど前、館内で若い女性が最新号のファッション雑誌からヘアスタイルの写真をカッターで切り抜いていた。驚いて注意すると、女性は悪びれる様子もなく「どうしていけないんですか」と言い放ったという。
という非常に印象的なエピソードが記されている。それに対し、ブログ等では、雑誌が切り取られるケースというのは「袋とじ」のせいではないのかという反応も見られる。これらを検証しようというもの。
私もこの記事を読んで、一番驚き呆れたのはこの箇所だったけれど、こういう何の罪悪感もなく切り取るケースというのはどの程度一般的なのだろうか、とも思った。公共心の低下を憂うという趣旨に寄りかかって、そのあたりをきちんと検証しないで済ませるのは、たしかに危うい。
私の勤務する大学も卒論の提出期日が近づいてきた。今日も相談を受けたが、自分が卒論を書いたときのことや今に至る遅筆ぶりを思い返すと、あまりえらそうなことは言えないと反省したりする。それでもできるかぎり、論文とはエッセイや報告書ではなく、きっちりと理路を踏んで研究の成果を示すもの、ということを、学生が差し出す草稿やメモなどを手がかりに指摘して、どうにかゴールに向かうよう促している。あんまり厳しいことは言わないので、どんどん相談に来てください。
とあるメーリングリストで、Heidi Campbell さんが紹介していた、宗教とインターネットについてのオンライン・ジャーナル。ハイデルベルク大学図書館が発行元で、無料で読める。
現在のところ、以下の2号が出ている。
・Volume 01.1 Special Issue on Theory and Methodology (理論と方法論特集)
・Volume 02.1 Special Issue on Rituals on the Internet (インターネット上の儀礼特集)
とりあえず、読んでみよう。
昨日届いた。
コミュニケーションは宗教の本質的な部分をなすという立場から、世界の諸宗教における、話しことばによるコミュニケーション(聖歌、説教など)、書きことばによるコミュニケーション(書物、回勅、文学、雑誌など)、映画や彫刻など他のコミュニケーション、公共的な生活におけるコミュニケーション(インターネット、ラジオ、テレビなど)をとりあげた百科事典。
124項目からなり、短い記事でも2ページは割かれていて、記述が充実しているようだ。
とりあえず、このようなテーマで一冊の百科事典が編まれたということは、心強く、感慨深いものがある。
いろいろと仕事が詰まっていて、なかなかここも更新できません。
息抜きにコーネリアスの新作を聴いています。
これを聴くとなぜか、YMOの BGM と Technodelic が聴きたくなります。
何かわからないけれど、共通したものがあるんでしょう。
さて仕事に戻ります。
原書はずいぶん前に買っていたが、そのまま積ん読になっていた。最近ある研究会でこの本の邦訳が出ているという話をうかがい、あらためて邦訳を手にとった。
訳者の柴内康文氏はCMC (Computer-Mediated Communication) 研究の方として記憶していたので意外な感じがしたけれど、「訳者あとがき」を読んで納得。そして、この本のキーワードである「社会関係資本」についての倭国での研究に、インターネット関連のものがいくつかあることも紹介されていて、しかもそれらの本もすでに入手して積ん読になっているのを再発見して、ああっ、やっぱり買ったらすぐ読まなきゃな、と反省させられた。
内容についてはあらためて (読了してから) 紹介したい……。
宗教についての「問い」を中心に立てて、自分で考えることを促す、ということを第一の目標に掲げて編集された、初学者向けの宗教学入門テキストです。知識詰め込み型、もう少し穏やかな言い方をすれば情報提供型のテキストとは対極にありますが、それでも参考文献リストや相互参照、索引が完備されているので、理論や事例についての知識を得るための拾い読みももちろんOKです。
一般の書店にも並ぶと思いますので、ぜひ手にとってみてください。
私もいくつかの項目を執筆させていただきました (4章28(葛西氏と共同執筆)「宗教の社会行動、宗教NGO」、5章28「政教分離とナショナリズム」、29「戦死者の慰霊・追悼、モニュメンタリズム」、6章37「メディア・情報化と宗教」、38「家郷の喪失・回帰と宗教」)。
2日はメルボルン博物館 (ここの展示はすごく見ごたえがある!) や戦争慰霊館 Shrine of Remembrance を回り、3日は郊外のクレイトンという町にあるモナシュ大学の倭国研究センターを訪問し、そこでオーストラリアでの倭国文化研究の動向などについてうかがった。お話を聞きながら、オーストラリアと倭国とのつながりだけでなく、オーストラリアとアジア全体とのつながりの強さにも思いを馳せた。そういえば、メルボルン滞在中3日のうち2日は、体調管理のため夕食にベトナム料理を食べていた。
そして昨日無事帰国。
インターネット研究の学会なので、倭国、しかも宗教というマイナーな対象を扱った研究がどれだけ関心を集めることができるのか不安だったが、幸い、幾人かの方から貴重なコメント、示唆をいただいた。学会パネルという場を機会に、集中的に議論を深めることができたのは、とても有益だった。
新幹線が架線の停電で遅れてしまい、先ほどようやく仙台到着。
発表は明日の午前中だ。昨晩まで準備してどうにか間に合った。しかし、プログラムを眺めていると、パネルを組んでいる人たちがうらやましくなってくる。